パーソナルカウンセリング, 旧プラクティショナーブログ

感情は自分の本質ではない!

こころの浄化として、私が最後に直面したのは両親だった。

目の前の介護問題に全力を注ぐこと、それ自体は楽しくもしようがある。

それでも、こころの奥やどこかで

「我慢」してる部分があると、いずれ表面化しフラッシュバックがくる。

 

長年確執のあった肉親の介護……

それは意地悪な神様の試験のようだった。

はじめ身体症状として噴き出した感情は、世話するうち、どうでもいいことになった。

感情を痛めていた記憶が、実家の惨状をみるうちシナプスの繋がりが消滅したのだ。

古い感情は、一瞬に無意味化し消え去った。感謝への変化はごく自然に起こっていた。

実家そのものへの確執も、徐々に溶解していった。

自分の中の時間だけが止まっていた部分に気付いて、解放してもなお、

父には噴きあがる感情を一気にぶつけ、自分のアダルトチルドレンを終わりにした。

 

その後感情が揺らぐシーンがあっても、愛からであり

ふたりの静かなる時間が、少しでも長く平穏にあることを願っている自分がいた。

 

 

パーソナルカウンセリング

女神としての前世にはまる

拡がる感覚は、自分の内側でも起こってくる。周囲の人がそれが幼い子どもであれ、世話になっているヘルパーさん、その他、仕事場のメンバーがかつての知り合いのような親しみを覚えることが増えている。

人が好きなくせに他人が怖かったかつての私は、もう何処にもいない。

いくつもの前世のうちぼんやり思い浮かぶ光景もすっかり変化した。

なんだか、地球外が故郷らしい。

もう、重くて仕方なかった過去からの刷り込みに振り回されることの無意味さ。

今世が最後だぞ。

タイトルは私を観てくれたチャネラーさんは、地球人生のカルマが見えない、あなたスピリットです!

人間の経験が少ないのだそうだ。

それも女神のイメージで。

幼い子ども達と接する事が日頃のワークとなってから、自ずと女性性は必須のことになった。

呼ばれた かのように決まった仕事で私自身が満たされる経験。

さくっと委ねてしまえば

こんなに世界ははまってくるんだ♡

パーソナルカウンセリング

時間を越えた意識に入って

自分とは何者か?

直感を通してお話しするハイヤーセルフと、3次元の諸問題にあたふたする自分の総合なのだ。さらに感じる自然のスピリットからの囁きに非常な懐かしさを覚える自分と。

夢があまりにリアルだと、現実世界は脳が作り出すホログラムという説が頭をよぎる。

宇宙に飛び出すイメージや感覚に浸ると心身がすっかりリフレッシュするのがわかる。(やっと遅い夕食を作り終えた後とか、ぼーっとしたい時)

スパや温泉で肉体という地球服のメンテナンスも効果的ですが。

自発的に誰かにヒーリング’したくなるとセッションルームに入る。

これが、そのあと意外にも私自身にも癒しとして効果があり、自分が無条件の愛の中に在ることに気付くのです。

リコネクティブ・ヒーリングとは宇宙の理として存在する無条件の愛とのコンタクトなのですね。

パーソナルカウンセリング

流れのまま、マイペースでいこう

やっと今年10年手帳を購入した。この1年は内面に向かう暮らしをしたい。

あれこれぴったりのタイミングで齢○○才になったし、もうこれからは誰はばからずマイペースで行くと決めた。図々しくはなりたくはないけれど、人聞きは非礼にならない限り気にするのを止めた。

初詣は2月入ってからと決めたのは、正月の人込みを避けゆっくりお参りできるから。

宇宙の暦では3月16日が元旦だという説もある。

大掃除に正月のイベントと1月はいつも慌ただしく過ぎる。

そうこうするうち1月も終わる頃に地震に寒波。

地球はグングン次元の狭間を通過中。これからが、面白い。

真新しい世界を共にしましょう!

何もかもが刷新するタイミングに、もう過去の自分から生まれ変わっていいんじゃないか、って思います。

偶然の一致がごく当たり前のことになり、日常に感謝する事柄が増えていく。

内なる愛と調和が外界を変化させるのは、当たり前の事ですよね。

忘れちゃいけないのは、

何があっても、不安があっても、

流れに逆らうことなくポジティブの発想から喜んで受け取って、

幸せの波動で自身を満たすこと。 エネルギーをチャージしておくこと。

幸運をを引き寄せる秘訣はここに尽きるようです。

アセンション, パーソナルカウンセリング, リコネクションに出会って

3年前を振り返って~少し自己紹介

人生の節目が宇宙的な流れと一致するように感じるようになったのは5年前。

波動って何?胡散臭いと思って、はじめは近寄ろうとも思わなかった。

だけどじきに身体の調整が必要になった。

整形外科、整体、按摩、カイロプラティック、何をしても良くならず、ネットや本は

20冊以上読みまくって、いくつかのエネルギーワーク、ハワイ古来の思想から様々

試した末、やっとたどりついたのが、リコネクティブ・ヒーリングだった。

宇宙と繋がる???

雲を掴むような頼りなさだったが、期待もせず、ダメ元の心境だった。

一度だけ受けてみたヒーリングは、特別なことは何も感じることなく終わり、半月、

1カ月は特に何もなかった。ただ、眠りがどっぷり深くなって、毎朝爽快に目ざめ、こ

ころのストレスが軽くなっていくのがわかった。同時に妙に霊感が強くなり、明晰夢、

事件を予知する夢など、何だか予想もしない方向に戸惑った。気がついたら整骨院や整

形外科通いもサプリメントも要らなくなっていた。髪はカールが揃って、スタミナがつ

いた。弱かったグランディングもしっかりしたのを感じる。

それより続いて全身の骨が緩む感じ、時折の頭痛は地震の前に起こった。そして胸の痛

みと咳、自分の体に何が起こっているのかわからないまま、約半年経つ頃にはセッショ

ンを受けたことすら忘れていた。

一方、模索するうちインターネットで見つけたドロレス・キャノンによるインディコチ

ルドレンの記事が、私にピッタリだった。

真夜中に文字を追いながら何度も涙が溢れていた。静かな深い感動と温かい涙…。

長い長い間、疑問だったことの答えがそこには綴られていた。

幼少から感じていた悲しみ、苦しみ、孤独な想いが、初めて癒されそして解放されて

いった。

そして冬のある日思い立って、一生に一度のリコネクションを受けた。

2014年12月のことだ。DNAの進化なんて意味も解からず怖いだけだったが。

とにかく毎日が楽しいものに変わっていたのだから、これは本物だと思うしかなかった。

驚いたことに常だった変形性膝関節症の痛みが消え、その帰り道すいすいまともに歩行

できていたのだ! わたしにとってこれは深い喜びだった!

翌年わたしは、プラクティショナーになった。

岸辺にいる人の新しい旅立ちへの橋渡しをするような役目。人を勇気づけ癒し

の場になりたいという思いはずっと昔から持っていたものだった。

直観タイプで感覚重視、無邪気、宇宙が好き、生きる事が大変…だった私の最終的な

これがこの世のおつとめなのだ!と悟った。

10歳から12歳の頃、幽体離脱して、天井の向こうから自分を眺めていた。

この時、自分はひとりじゃない、と初めて安心できた幼い日以来、

人生のあらゆる瞬間に聞こえてくる背後の声に導かれてきて今の自分がある。

今生だけで精神の死を何度か経験し、その度に生まれ変わってきた。

上がったり下りたり…そんな課程を経験すること自体が生まれてきた理由なんだ、なん

て渦中に居るときは思いもしなかった。

道を究めるのが好きらしく、やる時は全力。

若い時代は、本当の自分もわからず虚ろなまま、誰か他の霊にのっとられていたかのよ

うな、まともとは言えない恋愛ばかりだった。

それが、予感のとおり結婚するも~予感のとおり別れ

長年の異性の親友は、まだ若くして先に肉体を去った。その後ツインレイ(自分の同

魂)とおぼしき人との出会い、そして別れ。

パートナーとか伴侶の考え方も変わってきた。

今は、一人が安らいでいつも満たされている。

苦労はもはやそれがまるで何かのトレーニングのように感じる。

まだまだ未知なる地球人生(天国座)。この先も時間をかけて様々の過程を経験するの

だろう。

最近は別次元を垣間見たり…面白い!!

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偶然の一致はベストタイミングのしるし

2年前の秋からの私自身のことを振り返ってみためのました。

人生の変化と加速がスタート!

私がプラクティショナーとしてサロンを開くことになったキッカケは、

突然始まった介護でした。

 

想像以上だった実家の惨状とさらに起こった父の運転する車の事故…

両親の住む県で高齢者の交通事故のニュースを目にする度、命の縮む思い。ようやく事の流れを受け入れて、ついに約40年ぶりに実家そばに移り住む事にしました。

あと3年の契約を残す仕事をあとにして、流れは一気に長年の

職業もついに清算。

 

そして、何より、時が来たことを心の奥底では解っていました。

私のやるべき事のこと。

生まれた家の宿命を受け入れることと、自分の使命と感じるライフ

ワークをスタートさせました。

 

内側と外側の両方から押されるように。後ろ髪は散々ひかれつつ。

これ以上の偶然はないと思えましたからです。

 

環境の変化は新たな始まりでした。

 

大きな流れを受け入れると、あとはトントンとベストの条件で話し

がすすんで行き、まるで宇宙が助けてくれているような不思議さでした。

そして要介護になった両親の60回目の結婚祝いを家族で祝うことが出来ました。

母の方は翌日全て忘れていましたが。

写真のエンゲージリングは両親への気持ち。